ラジウム ガールズ。 1601年後もガイガーカウンターは鳴り続ける―小林エリカさんが語る映画『ラジウム・シティ』|時計の文字盤工場で被曝した少女たちを描くドキュメンタリー、渋谷アップリンクで上映中

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同日午後5時、モリーの口の中は血であふれた 彼らに共通していたことの1つは、全員が米国のラジウム工場で働いていたことです
フェルトを作るために、帽子屋たちはキャロッティングと呼ばれる方法を用いていました マリ・キュリーはそれを「妖精の光」と呼んでいた
ダメだと思っているから一生懸命書いてるのかな (後のテロップで、この和解を仲介した連邦判事は実はアメリカン・ラジウム社の株主だったことが明かされます)
結局これ以降、ラジウム文字盤の塗装工は適切な安全対策を指導され、防具も支給された は異なっていました
目を常に広げることは光に網膜をさらしすぎてしまい、感覚組織にダメージを与え、そして視覚にも影響があります しかし、アスベストの繊維は人間の健康にとって、とてつもなく危険なものです
今となっては放射性物質を意図的に顔に塗る人はいないだろうが、1933年当時は放射能の危険性はまだ十分に理解されていなかった 小林:3503年の西暦を生きる子供たちが、果たしてマリ・キュリーの名前を知っているかも定かではないけれど、それでも放射性物質が残るっていうのはどういうことなんだろうと
彼らの証言によって浮き彫りにされるさまざまな問題は、現代を生きるわたしたちにとっても決して無縁のことではない このような知識があったにもかかわらず、同時期にラジウムを扱う様々な会社が「少量であればラジウムは健康に良い」として、ラジウムを含む飲料水製造器 や、化粧品やバター、牛乳、歯磨き粉等がとして広く市販されているような状況も背景にあり、女工達が扱う程度の塗料であればこれらの「健康食品」同様に健康被害を及ぼさないであろうと安直に思い込まれていた
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